イギリスの専門紙“レーシングポスト”に何年か前まで、今はもうないがヘンリー・セシル調教師のコラムがあった。リーディングトレーナーの代名詞ともいえる存在であるから管理馬を毎週のようにどこかの大レースに出走させるわけで、内容はレースに臨むにあたっての展望とか心境とかが中心になることが多かったが、冷静で客観的でハッタリがなく、抑制のきいた分かりやすい文章がなかなか味わい深かった。写真で見る限り気難しそうなおっさんで、実際どうかは知らないが、そのコラムを通して密かにセシル・ファンになった。ま、モハメド殿下と袂を分かってからはさすがにそれまでのように常時リーディングというわけには行かなかったが、それでも“ゴドルフィン”の独走を許さないのだから大変な人物であることは間違いない。 1994年の凱旋門賞前夜、人気の一角を占めるキングズシアター(その年の“キングジョージ”勝ち馬)を出走させる師が、そのコラムで最も怖い馬として挙げたのがカーネギーだった。春当時はまだ体質が弱くて順調に使い込めなかったためリステッドレースにすら勝っていなかったのだが「春に見たとき並々ならぬ素質を感じさせた」らしく、やがて夏にG2に勝ち、秋に凱旋門賞前哨戦となるG2ニエル賞を勝って、モハメド殿下の4頭出し、ファーブル厩舎5頭出しのうちの1頭として本番に臨む。母デトロワも凱旋門賞馬なので、うまく行けば凱旋門賞母子制覇となるが、それまでそれほど強い相手とぶつかったこともなかったので普通に考えれば“良血のプリンス”がキツい流れで揉まれてどうかといったところだが、結果、中団から鮮やかに抜けて快勝。名伯楽の慧眼はまだ実際に示したことのない“(ひ弱な)プリンス”の潜在的な強さを見抜いていたのだった。実際には、同じモハメド殿下の服色のイントレピディティやキングズシアターに護衛されて、直線きれいに開いた進路を抜けてきた(このあたりのいきさつはホワイトマズルに乗って後ろから見ていた武豊騎手が詳しいと思う)とも見えたが、そういう大きな運の流れを自分の方に呼び込む力も“プリンス”として持って生まれたものだったのかもしれない。 凱旋門賞勝ちのあと、古馬になったカーネギーはG1サンクルー大賞典に勝ち、G3フォワ賞では名牝バランシーンを破ったが、それで調子も落ちたのか凱旋門賞でラムタラの6着、BCターフ3着を最後に引退して日本で種牡馬になった。サドラーズウェルズ不毛の地(当時)である日本でも結構な牝馬を集めて産駒も早い時期から走り、「サドラーズウェルズ=重い」というイメージを払拭してみせた。サドラーズウェルズをより四角ばったようにした馬体でそう格好がいいともいえないし、産駒もトモのつまった全体にこぢんまりしたのが多いが、それでもサドラーズウェルズらしからぬ器用さとスピードを示しつつ、大物はさらにサドラーズウェルズらしい底力を発揮してみせる。◎カーネギーダイアンはこれまでのところ、そんなカーネギーの代表作といえる。確かに見栄えのしない馬体ではあるが、アメリカには「馬体の勉強をするのならステークスのパドックに行くな」という文句もある。走る馬が理想的な馬体をしているとは限らない、理想的な馬体の馬が走るとは限らないということだと思うが、う〜ん、まあ、そういえばそうかもしれん、よう分からんが……。ともあれ、サドラーズウェルズ×ミスタープロスペクターという組み合わせは、近い将来、世界の“ニックス”の重要なひとつのパターンになっていくと思う。エルコンドルパサーもそうだ(ミスタープロスペクター直仔のキングマンボ×サドラーズウェルズ牝馬)。牝系に目を移すと女傑トリプティクや英・愛ダービー+“キングジョージ”の名馬ジェネラスがいる。ジェネラスは後から輸入されたラムタラの方が似たようなタイトルでもそのインパクトが強くて日本での産駒がデビューする前に影が薄くなった感じだが、あのパワフルな圧勝劇、胸のすくぶっち切りはラムタラの比ではなかった。トリプティクもジャパンCでは凡走したが、その前の富士Sの強烈な末脚には本物の凄みが感じられたものだ。ああいう圧倒的でパワフルな加速力というのはこの牝系の持ち味で、カーネギーダイアンのヘイルトゥリーズン3×5(このインブリードはサドラーズウェルズ系のジャパンC勝ち馬シングスピールこれもそう格好のいい馬ではなかったも持っていた)、ミスタープロスペクターにサドラーズウェルズ、リヴァーマンという血統構成なら、青葉賞より格段に強力なG1でこそその真価を発揮すると見たい。余談だが、(サドラーズウェルズ直仔の)オペラハウスは骨折で4歳を棒に振り、その産駒テイエムオペラオーも骨折で3歳時から長い休みがあった。カーネギーは4歳春は体質が弱くて一線級に浮上したのは4歳秋。そう考えるとカーネギーダイアンが、出ていれば本命視されたはずの朝日杯3歳Sに使えなくなって休養入りしたのは、よりスケールの大きな成功への伏線だったのかもしれない。 ○エアシャカールはダービー向きとか何とかいいつつ、皐月賞は着差以上の圧勝。ササりながら差し切るという、サンデーサイレンス産駒らしい勝ち方だった。ダービー向きの大物が皐月賞も勝ったら、当然ダービーではさらに強いところを見せるのだろう。でも、ま、ちょっと気になるのは母の父。ボールドルーラー系でもラジャババの系統は堂々たる馬体で見栄えのするものが多いのだが、ウェルデコレーティッドはその中でも特にラジャババ系らしいというか、(大きな声ではいえんが)見かけ倒しが多い。その辺りに一抹の不安を残す。とはいえ、そういう杞憂をよそに、前人未踏のダービー3連覇なんていうのをあっさりやってしまうんやろな、武豊は。 ▲アグネスフライトがデビューしたときは、まだ仕上がってなかったせいかロイヤルスキーっぽい馬と思った。アグネスフローラはほとんどロイヤルスキーらしくなかったのに、遺伝力とは恐ろしい……とかいってるうちに、どんどんサンデーサイレンスらしくなってきたような気がする。馬体もそうだが、ハミが掛かるとギューンと加速して、抜け出すともう耳をクルクル動かしている(ええ歳してこれをやめられないのがステイゴールド)。ロイヤルスキーが入っているだけに無条件で2400mOKとも思えないが、桜花賞馬の母は、少なくとも最後の数10mまでオークスも勝ちかけていた。祖母はオークス馬で、このファミリーからは始めて牡馬でクラシックを狙える器が出た。前走までとは相手が違い過ぎるが、そういうハードルを軽々と越えてしまうのがサンデーサイレンス産駒。 △トーホウシデンはエリモダンディー以来のブライアンズタイム産駒の小兵。500万でスカッと勝てずにプリンシパルSがやっとこさという印象ではあるが、ダンスインザダークとかサイレンススズカとか、回り道した個性派の大物を時として送り出すのがプリンシパルS。祖母の父ニジンスキー、曾祖母の父サーアイヴァーと馬格雄大なタイプをくぐってきた割にコンパクトな馬体だけに、ブラッシンググルーム風の晩成型であるかもしれないが、大舞台でサンデーも真っ青の弾ける脚を発揮できるのはブライアンズタイム。 オースミコンドルは煮え切らないレースを続けて1勝馬のままここまできた。そういう渋太さと、父が英・愛ダービー馬、母が桜花賞馬という血統的な華やかさの二面性が逆に大舞台では不気味。リワードフォコンは皐月賞で本命にした手前、1回では見限れない。混戦になれば上位を脅かすだけの脚は持っていると思う。 |
競馬ブックG1増刊号「血統をよむ」2000.5.28
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